第四夜
『君は無意識に選択していくんだ…』 言葉が反芻していく。 池の面にできるいくつもの波紋のように。 ―――雨は降っていない。 耳元で水音が微かに聞こえていた。 ―――いや、雨は降っていないのだ。 感触だけで、頬がそっと濡れたような気がする。 君はもう目覚めてしまったのだろうか? ―――目覚めたくないならば…無意識の選択を。 「あぁ!よかった、無事だったか」 まず、城に着いて出迎えてくれたのは、心配そうな顔をしたクロスだった。 「クロスさんも無事で…よかったです」 小さく言葉を返すと、クロスが満面の笑みを返してくれる。 (う、この笑みは…心臓に悪い) 無邪気というか、どことなく少年らしさを含む笑みには苦笑した。 胸の奥で、大きな音が響く。 「…さーてと♪城の中へいこっかv」 隣での手を引いてエスコートしていたアスカがウィンクする。 「エスコートなら、俺が」 片方の手を張り合うようにルシフェルが引いた。 「おや、客人であるやつには無理だと想うけど♪」 「ふっ、俺に不可能はない!」 (意味がわからん…) 自信満々に言い放つルシフェルに溜息を吐く。 そうして、両手を引かれながら、左右で飛び交う言葉に頭が痛かった。 「…ふぅ、ルシフェル、さんが困ってらっしゃいます」 首だけ後ろに振り返って、はコルチェに助けを求める。 「つっても、じゃあ、はどっちがいいんだよ?」 「…え?」 「ふふ、ちゃんからの言葉で諦めるってこと?」 「は?なんで、がお前なんかを選んでることになってんだよ?」 「…あ、あのね」 急に足を止め、アスカとルシフェルが言い合いを始めた。 クロスは困ったようにその様子を眺めているだけだし、コルチェは呆れてモノもいえないようだ。 実はついてきていたゼアは大きな欠伸をしながら、頭を掻いている。 「…ちゃん、俺を選んでくれるよね?」 「、…お前は俺を選ぶに決まってるよな」 (…くっ) アスカの差し出してくれた手と、ルシフェルの真っ直ぐな視線を交互に見つめながら、嫌な汗が背中を流れるのを感じた。 「わ、私は…」 は精一杯言葉を吐き出す。 「あっれー?城に入ってこないと想ったら、一体何してるのだ?」 「キラくん、助けてください」 は門の奥から姿を現したキラに泣きすがった。 「あ…」 「お前、逃げたな…」 アスカの苦笑とルシフェルの鋭い視線を背中に痛いほど感じたが、それは無視でいい。 「う?…さん、大丈夫?とりあえず、お城の中へどうぞ?」 元気な笑顔に救われながら、はキラに手を引かれて城の中へと入るのだった。 城の中へ入ると、そこはまた不思議な空間だった。 詳しい事は覚えてはいない。 ただ、長くて白い廊下を歩いた。 そうすると、いつの間にか大きくて広いダンス広間に出ていた。 天井は高く、その頂上には大きな壁画が描かれている。 「や〜、ようこそv…待っていたよ」 「あ、ディースさん…。今晩は」 広間の中心に立っていたディースには軽く会釈をした。 穏やかな笑顔が自然と心を癒してくれる。 (あぁ、なんだか…ほっとするなぁ…) 柔らかい何かをこの人は持っている気がすると考えながら、は微笑んでいた。 「さん、いっぱいあるから食べてネ!!」 キラが無邪気に笑って広間の右端を指差した。 「…わぁ」 その瞬間、は嬉しそうに顔が綻ぶ。 大量の見たこともない料理が沢山並べられていたのだ。 広間に入った瞬間には気づかなかった。 いや、今までそこに存在していなかったのかもしれない。 だけど、今はいい匂いを放つ食べ物が並んでいた。 (あー、これが立食パーティーという…) ぽんっと手を打つと、は早速白いテーブルクロスが目立つ料理のテーブルへと足を進ませる。 「ふふ、さん、これ、美味しいですよv」 「あ、コルチェ、ありがとう!」 先にその場所で料理を自分の皿に取り分けていたのか、コルチェはそっとに料理の皿をわけてくれた。 「……」 しかし、食べようとした口を半開きにしたままは動きを止める。 「どーした?」 コルチェの後ろに立っていたゼアが、心配そうに声をかけてきた。 「……さん…?」 コルチェの音色も心配げである。 「…これを…」 (これを食べたら…) 「…どうなるんだろう?」 心の中の呟きが漏れていった。 夢の世界での食事…。それが言い知れぬ恐怖を呼ぶ。 何故かは判らなかったが、不安で堪らなかった。 「大丈夫、だよ?」 後ろで言葉が投げかけられた。 「…あ」 後ろを振り返ると、ワイングラスを手にディースが柔らかく微笑んでいる。 「…俺が保証しよう。…君に影響は出ない」 不思議な説得力だった。 「…ありがとうございます」 ディースに頭を一度下げてから、は勢いよくそれを口にした。 口一杯に広がる食べ物の感触。そして、味。 (…美味しい!) 「美味しいです、すごい…!」 素直に感動すると、は他の料理にも手を伸ばした。 「あはは!良かったv…実はそれを作ったのは、何を隠そう!アオイくんだからねv」 「…え?!」 ディースの言葉に思わず喉が詰まりそうになる。 「アオイ…さん…っ?!」 「…はい?僕がどうかしましたか?」 「わー――!!アオイさん!!」 いきなり現われたアオイには思いっきり心臓を跳ねさせた。 「…ふふ、大丈夫ですか?さん」 (す、すごい、生アオイさんで、アオイさんの料理を食べちゃった…?!) 無言で頷きながら、はもっと料理を味わう事にする。 「あははvちゃん、良かったら、俺が口移しでもして食べさせてあげようか〜?」 「わっ!」 急に後ろからアスカがの肩を抱いてきた。 「てめぇ、いい加減に…」 ルシフェルの声が耳に入ってくる。 (あ…もしかして、また喧嘩系…?) しかし、それは続かなかった。 「…いい加減にしろ!!」 スッパー―――ンっ!! 「…いっ」 (おぉ!生スリッパ!!) アオイがアスカを殴ったスリッパに感動しながら、は嬉しそうに笑った。 「あ、ちゃん、…酷い」 アスカが頭を押さえながら、そんなの笑顔に苦笑する。 「酷いのはお前の手癖の悪さだと僕は想うんですが?」 冷たい声がアオイの口から漏れた。 「…ん、お前がああいう武器を持っていなくて俺は安心している」 「ルシフェル…。それは僕に喧嘩を売っているようにしか聴こえないんですが?」 「はは、そりゃ幻聴だろ♪」 後ろで紡がれていた双子の会話にもは微笑んでしまっていた。 いつの間にかこの空間が愛しいほどに好きになってしまっている。 好きでなければ、誰が好んでこの夢を描こうとするのか。 (…そう、こんな夢…) 「…、大丈夫か?」 クロスがそっと心配そうに言葉をかけてきた。 「あ、うん、大丈夫、です」 ぎこちなく笑ってしまう。 いつかは覚めてしまうという不安のようなものが、こみ上げてきていた。 「…本当に?」 何でも見透かしてしまうような銀色の瞳。 非現実的な視線…。 「本当に!です。…あ、ちょっと、外の空気、吸いますね!」 慌てて言葉を吐き出しながら、広間の端にあったテラスに視線を向けた。 そうしてクロスの呼び止める言葉も聞かずにはテラスに出る。 冷たい夜風が温もっていた身体を襲った。 (…夜にもなるんだ) 呆然と夜空を眺めながら、は髪の毛を弄る。 星の瞬きがやけに現実的だったが、城を囲む幻想的な風景がそれを壊していた。 (やっぱり、ここは…私の知らない世界…) ―――存在するはずのない自分。 夢だと思い込んでも夢だとは断言したくない幻想。 ―――まだ目覚めはこない? 君が望めば永遠に…。その終わりは恐れなくていいから…。 |
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